何度も読みたくなる書「学問のすすめ」

有名な福沢諭吉の「学問のすすめ」ですが、本書は全く色褪せない本と対話し、社会の中の一人の人間として、また自分というものを見つめなおすきっかけを作る良書ですよね。

今「学問のすすめ」を読んで、前半部分では国とその国民としての1個人というものの存在を考えさせられます。本書の中に「政府は法律をつくり、悪人を罰し、善人を守る。これが政府の「商売」というものだ」という文章がありますが、その意味において「法律」を国民がいかに守る義務があるのかという事を説きます。

「政府の仕事は、犯罪者を取り締まり、罪のない人間を保護することより他にはない」わけですが、政府自体はお金を生み出さないから国民が税金を収めることになる。法律では罪のない人間を保護する方法として「権利」を生んだりしているわけですが、ここで考えさせられるのは「税金」について。

税金を払うのは義務ですが、国が法律を制定しそれを施行し、取り締まる行為は権利ではないはずです。時々警察自体が犯罪を知りながら動かないという意見が出ますが、これがもし本当だとすると義務を果たしていないという事になります。

そして一番考えたのは「インターネット」です。
ダウンロード違法化なども同様に法律が制定されたということは、国民が行なっている行為に基づき罪を犯したものを取り締まるための法律として制定されたということになります。罪とは一体何でしょうか?著作権などに当たるのでしょうが、本当に法律で生み出された権利は罪を犯していない人を守るための権利なのでしょうか?

法律として制定されるということは、それが制定されるだけの事件や出来事などが存在しているはずです。インターネットのダウンロード違法化で言うならば、著作権物が古くはWinny、Shareなどで共有されていた実態がそうなのでしょう。

では、SOPAやACTAのような国際的な法律はどうなのでしょうか?
法律におかしい点があるならば異議を唱えよと言う事も本書内に書かれていることではありますが、このような法律の場合、国民は税金を収め異議を唱え、日本という国に変更を促すという流れになるでしょう。ただ、国際法に批准している国としては恐らく日本内に特別な法律を敷くことは出来ないでしょうから、やはり日本を代表して国際的な会議で疑問を提示するという流れになるのでしょう。

税金を収めている以上、国にそうした対応を行なっていただかなければなりませんが、ここで「民主主義」というものの考え方に対して疑問が出てきます。

リーンスタートアップでも語られている通り、人はプロダクト・サービスを与えられて初めてその事が意識上に浮かび上がり意識して検討するわけですが、異議を唱える法律がニッチな分野に携わる人にしか認識されることがない場合はどうなのでしょうか?

普通賛同者を得られないということは、それだけ説得性に欠けるか、または利益を享受されるものが限定されていて世論がそれを許さないか、などということになるでしょうが、元々の母数が少ない時は人数が少ないからといって蔑ろには出来ないはずで、それに携わる人全員の人数を100とした場合の民主主義的な対応ということになるのかもしれません。

国と同じように、お金を生み出すことがない協会や団体組織についての運営費を収めた見返りは何なのでしょうか。そして参加者にはどのような義務が生まれているのでしょうか?
国と同様に考えれば、協会の規約を遵守することが参加者の義務となりますが、団体に対しては規約がコロコロと変わらない以上、参加者に対して機会を均等に与えたり、参加者メリットを高める仕組みが存在していなければなりません。

協会や団体の運営者が貰うお金とは一体何でしょう?
選挙で有名人を立てる行為はどうなのでしょう?
投票しないという行為は一体どういうことなのでしょう?

本当に色々考えることが出てきます。そして一つ一つの質問に一人ひとりが回答を出していく必要があるのではないでしょうか?

学問のすすめ」では、そのような大きな枠組だけではなく個人として、そしてその感情、特に嘘や欺きなどの多くの悪徳な感情は「怨望」から発生すると述べられていますが、「怨望は貧乏や地位の低さから生まれたものではない。ただ、人間本来の自然な働きを邪魔して、いいことも悪いこともすべて運任せの世の中になると、これが非常に流行する。」と述べられています。

インターネット上での匿名掲示板などは危ないのかもしれません。
インターネット上での煽るような発言や罵りなどは共感覚の欠如なのかな?と思ったりしなくもないわけですが、特にそのような行為は法律で罰せられるようなものではありません。ただ、ニート問題も含め怨望が相当蔓延しているのかもしれないと思った次第です。

自分の感情を見ていて怨望が生まれていると思ったら、再度落ち着いて自分の行動を見なおさなければとおもいます。

また、様々な業種で言えることかもしれませんが、次の一文は肝に銘じておきたいですね(笑) 「独立の気概がないものは、必ず人に頼ることになる。人に頼る者は、必ずその人を恐れることに生る。人を恐れるものは、必ずその人間にへつらうようになる。常に人を恐れ、へつらうものは、だんだんとそれに慣れ、面の皮だけがどんどんと厚くなり、恥じるべきことを恥じず、論じるべきことを論じず、人を見ればただ卑屈になるばかりとなる」 政府を始め、権力者にくっつくと自分を弱らせるという事ですね。

本書内では「官許」として商品を開発したらまず政府関係の団体に近づくなどという行為を恥ずべき行為としています。それは福沢諭吉が小さな政府を理想としているから、政府が何でもやるという世界ではなく、なるべくそぎ落とし仕事を増やさない事が重要だとしていることも関係しているのでしょう。

「学問のすすめ」を読むと、いろんな疑問が頭をよぎるだけでなく、インターネット上での炎上等の問題、ニートなどの社会問題、そして自分の感情を見つめる事など、イイきっかけになると思います。

まだ読んでいない人も、既に読んだ人も、定期的に再読してみてください。




学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

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